こるりと慶應通信

慶應通信文学部第3類 2015年秋 学士入学 勉強の記録

ニューズレターを待つ間に英語学を思う

ニューズレター、今日も届きませんでした。
あんまり書くと事務局の人に申し訳ないので、それだけお伝えしておきますね。
夜スクのことを考える前にEスクを進めなさいという神様の思し召しかもしれません。

ここ数日、Eスク英語学のテキストを読み進めていて、なぜこの科目を心から好きになれないか(あ、言っちゃった!)わかってきました。
わたくし、いわゆるゆとり世代のコミュ障なもので、
「円滑なコミュニケーションのために日本人は~~~という表現を使う」
「アメリカ人と話すとき~~~すると不快に思われる」
「相手に配慮して~~~する」
という説明が出てくるたび、
(へ、そんなことできてないかも……)
(知らなかった~やっぱり変なやつだと思われてるのかな~)
とドキドキしてしまうんですね。
もちろん、全員ができているという話でもないし、話し方指南書ではないので、「こうしなさい」といっているわけでもないのですが……
ちょうど放送中のドラマではないですが、「ゆとり」「コミュ障」と言われて育った世代としては、いちいちハートにグサグサくるんですよね……涙
言語学的にゆとり世代を分析するのも面白いかもしれないですね。

そしてもうひとつ。
Eスク英語学のテキストは、もともと英語で書かれた本の邦訳なのですが、日本語の例もたくさん出てくるんですよね。
他にはマレーシア英語とか、アフリカ英語とかインド英語も出てきますが、非英語としては多めなんじゃないかなと思います。
これは、日本人の言語学者や英語学者の方で国際的にも活躍されている方が多いとか、その他の分野でも日本が注目されやすかった時代を反映しているのかな、と思います。
いま、日本はお金がないから国立大学の文系学部を統合したり減らしたりしようとしていますが、それって、学問全体で見て、世界レベルで日本の存在感が低くなっていくっていうことですよね。
いろんな文献の日本語訳も出されなくなっていくっていうことですよね。
経済と科学技術だけ突出していればオッケー、と偉い方は思っているのでしょうが、そこだけは世界レベル、なんてそんなふうにいくものでしょうか。
学問的底力というか、文明力というか、そういうものは分野を超えて関連している気がなんとなくするんですよね。
井上先生も、授業の初めに、学問は何かの役に立つ必要はない、とおっしゃっていましたし。
まだうまく言葉にはできませんが、せっかく文学部で学んでいるので、そういうことも考えていきたいな、と思ったのでした。

そういえば、Kcc-channelのレポ状況が、「評価中」から「添削中」に変わっていました。
これは言葉を変えただけなのか、段階が違うのか……
添削中といわれると、いっぱい赤をいれられて返ってくる感じがして怖いです。