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こるりと慶應通信

慶應通信文学部第3類 2015年秋 学士入学 勉強の記録

映画「ソロモンの偽証」を見て

Eスクレポを出し終わったあと、ふと気になっていた映画「ソロモンの偽証」を見始めました。
面白くて止まらなくなり、そのまま夜中まで前編・後編と続けて視聴。
久しぶりに面白い映画を見た!と満足だったのですが、
ネットで検索すると、あまり評価は良くないのですね……

ショックだったので、通信とは関係ないのですが感想を書きたくなってしまいました。
興味のない方はスルーしてくださいね。

原作は宮部みゆきの同名小説。
宮部みゆきはたくさん読んでいるのですが、多作の作家さんなので、「ソロモンの偽証」は読んだことがありませんでした。
主人公は普通の中学3年生。
2年生のときに同級生の飛び降り事件が起きた後、他殺を糾弾する告発文が届き、その真偽をめぐって次々と問題が起きる。
おとなたちは、自殺で片づけて騒動を封じようとするが、真実があやふやなまま、子どもたちは前に進むことができない。
そこで、自分たちで校内裁判を開き、陪審員制で自殺か他殺かを判定しようとする。

あらすじはこんな感じなのですが、
とにかく中学生の役者さんたちがすばらしい。
オーディションでほぼ新人ばかりから選んだそうなのですが、
主人公の抑えた硬質で透明感のある演技も、脇役の子たちの個性的な表現も、
それぞれ役にぴったり合っています。
この作品を生きているのが伝わってきて、
体育館で生徒や保護者を集めて裁判をするシーンは、
ほんとうに子どもたちだけで作り上げた感じがよく出ていました。

そして、子どもたちによる裁判というテーマ。
裁判をする必要があったの?という感想も見かけましたが、
やっぱりここで裁判を選んだということがとても重要だと思うんですよね。
子どもたちは自分なりに、いじめや暴力に向き合おうとしているのに、
警察やマスコミ、学校や両親は、大人に都合よくことを収めようとする。
それに対して、一部の子どもが探偵ごっこをして謎を解くのではなく、
クラス全員に協力を呼びかけて、大人も呼んで裁判を開く。
ここで大事なのは、彼らが真実を知りたいのは、
自殺した子や、犯人として疑われた子のためではなく、
自分自身ひいては「わたしたち」のためだということです。
大人や社会や現実に一度は失望・反発した子どもたちが、
裁判という「社会の公器」の機能と自分たちの正義を信じて行動し、
その正しさが証明されなければこの先の人生を生きていけない、
というひたむきさ、必死さに心打たれました。

そこで明らかになる真実も、決してすっきりするようなことではないし、
結局はつらい現実と向き合って生きていかなくてはならないのですが、
この裁判を経たからこそ、それでも生きていこう、と彼らは思えるのですね。
ひとりひとりは必ず弱い部分や罪を抱えているし、
常に真実や正義が全うされるとは限らないけれど、
お互いに許し合って正義を追及する仕組みを人は持っていることが救いなのだ、
という実感を中学生の経験を通して描いているところが素晴らしいと思いました。

予告や宣伝で言っているほどの衝撃の真実が明らかになるわけではないし、
「偽証」がそこまで結末に効いていないので、
ミステリーとしては面白くないのかもしれません。
そもそも最近は、なんでもかんでもミステリーとして売り出しすぎなのかも。
もっとうまい宣伝方法はなかったのかな……

とくに前編は、闇の部分というか、狂気を感じる部分が怖くて、
映画館で見るには人を選ぶと思いますが。
あと、現代パートの校長先生のセリフなど、疑問を覚えるところも多々ありますが。
全体的にはとても好きな映画でした。

現在公開中の「スポットライト」「マクベス」も観に行きたいなぁ……